ハンドリー事件その3】なぜ司法取引に応じたのか?
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ハンドリー事件に対してアメリカ現地のオタクの関心が高いのは当然だが、他にも高い関心を持っているグループがある。それはアメコミの作者や芸術家・出版業者たちだ。未成年者が主人公でしかも露骨な性表現が含まれるアメコミやヨーロッパコミックは意外にある。下のコメントにも出てくるアラン・ムーアの人気作ロスト・ガールズなどはその代表といえる。
芸術家にとっても他人事ではない。芸術作品の商業化がここまで進んでくると古くて新しい問題―芸術作品と猥褻性―がまたまた蒸し返される可能性があるのだから。
今回は海外のファンの反応の代表例としてサブカル系サイトJapanatorのコメントを紹介したい。
Brad Rice
ハンドリーがマンガ本のせいで裁判中なのに、未成年の少女の露骨な性的描写のあるアラン・ムーアのロスト・ガールズが店頭で売られているのはなぜだ? 次の標的になるかも?――そんなの誰にも分らない。私に言えるのは、このニュースを聞いてとても悲しかったという事だけだ
kamanashi
個人的意見だが、めちゃくちゃだと思う。ロスト・ガールズのことは何も知らない。誰であれこんな事態に巻きこまれるべきではない。対象は現実の子供ですらないのだから
この調子じゃ、ある種のアニメは持っているだけで逮捕されるだろう
エルフェン・リートの一場面なんかマジでヤバい
dark
何を根拠にこんな事が許されるのか理解できない...
漫画家が描いた単なる絵だぜ。架空の、マンガ本の、想像の産物にすぎないのに。
懲役15年を科すのが正しい事なのか? 漫画を読むのも禁止だと?
これからはアニメを買うときは充分注意しないとマズいな
しかしどうすりゃ法律違反のシーンが含まれているかどうか事前に知ることができるんだ?
アニメは単なる絵にすぎなのに、まったく....
Kougeru
ひどい話だ。私自身の法廷での経験から言うと、司法取引というのは合法的な脅しであり噴飯ものなんだ。適用を申請された法令の一部は「描かれた絵は現実には誰も傷つけない」という理由から違憲と判定された。ところが同じ内容の別の条項によってハンドリーは有罪とされた...なぜこの条項も違憲と判定しなかったんだ? ダメ裁判官は結局ダメ裁判官にすぎないってことか
*訳注:本事件の裁判官はUSC第18編第1466条A(a)(2)及び(b)(2)は違憲と認定したが、同条A(a)(1)及び(b)(1)は違憲ではないと判定している。詳しくは下記の裁判記録を参照。ちなみにKougeruの理解はいささか不正確。
United States of Ameriaca vs. Christopher Handley No.1:07-cr-00030-JEG ORDER
clevetheripper
次はパンツが見えるアニメの持ち主のところに役人が来るだろう。なぜなら連中が「ワイセツ」と判断したからだ。
こちらが一歩でも譲歩すれば、連中は図に乗ってすべてを要求してくるぞ
Juichi
十代と成人の間のセックスを描いたマンガはありふれている。国中の書店でたくさん売られている。「児童が含まれている」って高校生のこと? それとも高校生より若く見えるキャラのこと?
判決はまだ宣告されてないんだよね? なら懲役刑をハンドリーに科すべきじゃない。罰金千ドルだけですますべきだ。
JoshMilewski
たとえ小学生が描かれていたとしても問題とすべきではない。
それらは単に「絵」にすぎない。架空のキャラだ。現実の児童ではない。
誰も犠牲者はいない。被告人のハンドリーを除いて。
Outlaw_Spike
何が描かれていたかなんて重要ではない。赤ん坊が500才の擬人化された犬にレイプされたシーンのあるマンガが児童ポルノだなんてまったくバカげている。こんなの線で描かれたイメージの集合体にすぎない。どこにも犠牲者なんていないし、何の犯罪も行われていない
この事件の判断を基準にしたら、この絵も違法ってことになるに違いない

Saku
また日本原理主義者たちが根本的に間違っている児童虐待ポルノを見過ごそうとしている…アニメやマンガだからという理由で。実にキモいな。
単なる絵だから許容されるべきだと。児童虐待ポルノは現実世界の虐待行為への動機付けや攻撃性の助長にはならないと?
ロリコン・ショタコン・ヘンタイ漫画による性的虐待やレイプの美化は現実世界の犯罪行為を正当化するだけだ!
Pentence
Saku、児童虐待とかヘンタイとかの特定のテーマが主要な問題なのではない。より大きな視点に立つと「我々が何を見て何を創作するのが許されるのか」という大テーマの最初のとっかかりの問題にすぎないのだよ。それは”何を芸術とみなすべきか”をめぐる支配権争いを引き起こす―誰が決めるのか?
ハンドリー事件はすべての作家・創作者・芸術家に直接衝撃を与えた事件なんだよ。検閲は通常の場合でも充分に悪いといえる。今回当局は単に道徳的に疑問のある表現に罰を加えたというよりも、さらに踏み込んで”哲学的に疑問のある表現”に厳罰を下している。
芸術・創作活動が意図し刺激し伝達しようとしている事柄の主要部が検閲されてしまったら元の作品と同じと言えるだろうか? 特定の思想・イデオロギーから離れた地点で自由に創作することが許されないなら、自由にものを考える行為自体が困難になる。私たち自身の合意にもとづいて行動することが許されない状態は自由と呼べるのだろうか? それでは奴隷と違いがないのではないか?(以下長文が続くが省略)
clevetheripper
”ロリコン・ショタコン・ヘンタイ漫画による性的虐待やレイプの美化は現実世界の犯罪行為を正当化するだけだ”
私は現実の児童虐待が許されるべきだなどと思っているわけではない。しかし漫画の場合は話しが別だ。
あなたの論法に従うなら、暴力殺人映画・小説も違法になる。殺人を正当化するからだ。麻薬を使用するドラマも違法になる。麻薬の使用を正当化するからだ。あなたの意見が間違っているとは言わない。あなたの論理が破綻しているのだ。
[8] 司法取引の内幕/ハンドリーの怒り
引き続きJapanatorのコメント欄より。ハンドリーの家族の知人から重要なコメントが寄せられている。
AnimeFriend
こんにちは皆さん。私はハンドリーの家族の親しい友人です。何が起こったのか理解していただくために、私が知っている事を皆さんにお話ししたいと思います。
ハンドリーの弁護士が司法取引に応じるように彼に勧めたのです。この裁判には勝ち目がない、だから減刑のために司法取引に応じた方がよいと彼を説得したのです。しかしながら、この弁護士のためにハンドリーは誤った選択をしてしまったと私は考えています。
我々は弁護士から単純所持と猥褻物の輸入は減刑の対象になると聞かされたのです。また弁護士はこうも言いました。もし罪状を認める司法取引をするなら、ハンドリーが保釈期間中に社会に対していかなる脅威も与えなかったことが考慮されるだろうと。ハンドリーは失望落胆しまた憤慨しました。そもそもこの裁判は誤審なのであり、機会さえあれば控訴できたのです。
ハンドリーの弁護士はちゃんと仕事をしなかったと思います。これは本当に茶番劇です、特に弁護士と訴訟に費やされたお金のことを考えると。この状況は単にアニメファンだけではなく、広く芸術界にとっても恐ろしい打撃になるでしょう。
私は皆さんの善意をハンドリーの家族の方々に伝えようと思います。皆さんの支援と過去数年間に渡る心配と御好意に感謝致します。このような災難が他の方々の身に降りかからないことを願っております。
AnimeFried氏のコメントが事実だとすれば(他の情報を参照するとどうやら事実らしい)、ハンドリーとその主任弁護士エリック・チェイスの間で司法取引に応じるか否かを巡ってかなり確執があったことがうかがえる。事件発生からすでに3年が経過しており、裁判費用の負担もそろそろ限界にきていたのかもしれない。
いずれにしてもこの事件が控訴されずに結審してしまうのは残念である。上級審でUSC第18編第1466条Aの主要条項が違憲認定されるチャンスだったのにね。
参考:
Japanator
Newsarama.com "Handley Pleads Guilty in Manga Case"
Anime News Network
Lawrence A. Stanley "Down the Slippery Slope - The Crime of Viewing Manga"
Stanleyの記事はアメリカでの主なマンガ裁判(刑事事件のみ)を簡潔に解説していて非常に参考になる。
Comment
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2009.05.25 Mon 11:19 | 相互リンクのご依頼
サイト運営し始めた者なんですが、相互リンクしていただきたくて、コメントさせていただきました。
http://hikaku-lin.com/link/register.html
こちらより、相互リンクしていただけると嬉しいです。
まだまだ、未熟なサイトですが、少しずつコンテンツを充実させていきたいと思ってます。
突然、失礼しました。
wZkZ5DbM -
2009.05.31 Sun 02:39 |
日本では悪法は法ではありませんからね。
また法の支配を採用した民主主義国であれば
国家からの自由が大原則であるはず。
勿論法益の保護といった公共の福祉に関連する規制はありますが、
因果関係の立証もあやふやなまま本来認められるべき権利が
一方的に規制されるのは行き過ぎと言わざるを得ません。
個人の尊厳を尊重する、表現の自由が高いレベルで確保された国家が
世界のどこかには必ず必要だと私は思っています。
一国家において民主政の過程における瑕疵が発生し、
回復が困難となってしまった場合にも、
ここまでグローバル化が推し進められた今日、
世界のどこかで“自由”に表現できる場があれば回復する可能性もあります。
日本の文化が
途上国や独裁主義の国、あるいは先進諸国であってもマイノリティーとして苦しい思いをしている人々がそれを見て
“こんな宗教や権力から自由で平和な国があるのか”
と自らやその国の将来に希望を抱ける存在であって欲しい。
今の日本が自由と平和の息吹を伝えるその役割を終える時、
必ず別の国家・地域にその役割が承継されていてほしい。
世界を見渡せばグローバル化による摩擦と不寛容が表面化していますが
そんな中、まだ日本はその高度な価値相対主義国家としての役割を負っていると思います。
(まとまりのない駄長文失礼しました…)- #-
- 名無しさん
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